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まどか☆マギカと使命感 [アニメ・マンガっぽい]

 別に目新しいネタがあるわけではないので注意のこと。

ネタばれ御免


 魔法少女まどか☆マギカは、やけに無機質な世界の空間とそのボンヤリとほの暗い世界観がいかにもバブル崩壊後の平成的に思う。
 その中でまどかは平成らしくない、古い考え方を思わせる結論を出した。最後に見せた結論は、そこに強い使命感をうかがわせた。
 今までの魔法少女全員の思いのために、自らが全ての魔女を消し去る。このような利他的な使命感は久しぶりに見た。
 最終回だけよかったわけではないので、それだけではないが、それゆえにあれだけのインパクトを受けたともいえる。

 むろん本当は、昭和の幾分無邪気な使命感とは少し違うだろう。もっとも無邪気な使命感は、正義感の形でさやかが振るった。みんなを守るために戦うさやかは、最後には自分の思いを自分自身で受け止めきれず、世界を呪う魔女となって消滅した。
 他のキャラクターはより現代的だ。途中回想の中で狼狽振りをさらしたが基本はファッショナブルでかっこよく大人っぽいまみに、自分のために魔法を使うといいきる杏子、ひたすら友達のまどかのことだけ思い続けたほむら。どちらかというと利己的で、利他的な部分も、範囲が限定的だ。それは現実的な姿でもある。
 さやかは、もっとも絶対的な正義を求め、消えた。正義の困難さ、というか、不可能性、非現実性を示すための存在だったかもしれない。
 まどかの求めたものは絶対的な正義よりはささやかな相対的なもので、それは世界を何とかするのではなく魔法少女の最後の悲劇の元となる魔女への転移を止めることだった。だからそれが達成されるからといって世界が平和になったりユートピアになったりするわけではない。
 だが、いや、それゆえだろうか、まどかの使命感には利己的な部分がみられず、打算がない。正義を押し付けることもなく、ただひたすら少女たちの悲劇の種のみをくい止める。
 ただし、全てのあり得る世界を覆うほど徹底的に。まみの言ったとおり、それはとても恐ろしいことだ。なんの見返りも楽しみもなく人知れず永遠に戦い続ける。確実に割に合わない。

 昭和のイメージの絶対的な使命感ではなく、相対的な使命感とはいえ、この強い使命感とその利他性は、やはり現代のもの、平成のものには思われない。正史のガンダムで延々と続く、勝ち取る、というよりも食い止める戦いに似ているだろうか。利他性とこの種の強さは、現代日本では現実的にもフィクションの上でも絶滅しかかっているといってもいい。現代では、フィクションにおいても、むしろ打算が、利害の一致が信用の第一歩であることすら多い。この作品に異彩を感じる所以のひとつだろう。

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